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エネルギーケア

不調は、氣(エネルギー)が病んだ(心を悩ます)状態を表します。

それは、「心地よい」「気持ち悪い」というたった2つの心の在りようで決まります。その感情のエネルギーが細胞という肉体を保護するのか、分解するのか決めて日々変動しているからです。そして、「自然治癒力」が強まったり、弱まったりするのです。

考え過ぎないようにしていても、悩んでしまう。

肩の力が抜けない。

わかっててもできない。

このように苦しさや辛さを持つと、その感情に対処しようとエネルギーを増やすことで過剰になる人(陽氣)もいれば、その感情に対処できずにエネルギーを減らしてしまい欠乏する人(陰氣)もいるのです。

大切なのは、過剰になったり、欠乏したエネルギーを「ちょうどよい」バランス状態にすることが大切です。これを氣が元に戻るといいます。エネルギーはなくなることはありません。移動するだけです。移動させること、流すことが大切です。そうするには霊的能力や超能力と呼ばれる特別な能力は必要ありません。生まれ持った感覚を思い出せば、良いのです。

思い出すために行う動き、思考そのものが、エネルギーケアです。

日常的に感じている感覚に、エネルギーを感じる感覚というものがあります。

例えば、肌に感じる冷暖・場の雰囲気・アイデアのひらめきといった日常的に感じているエネルギーもあれば、ほとんどの人が感じたことのない生命、感情、意識などのように目に見えないエネルギーもあるのです。

「見えない」という意味には二面性の意味があります。

その意味は、あちこちに存在しているけれど、「(意識がそこにないので)目に入らない」という意味と、目には入っているけれど、「(感じることを失っていることが)分からない」という意味です。エネルギーとはそういう存在なのです。

目に見えないもの

たまに偶然のような出来事が起きます。

風邪をひいて熱が出ることも、尻もちをついて打撲箇所が疼く熱も、交通事故、自損事故もエネルギーの解放を無意識のあなたが発散したがって起こります。これは、過去に取り繕って放置した問題のエネルギーが、新たな事件を生み出すのです。

これを投影といいます。未解決の過去のエネルギーも新たな事件のエネルギーも同じエネルギーだから気付いてよというサイン(印)です。

では、エネルギー=氣が元に戻るために、行う動き、思考になるにはどうすればよいのでしょう?

まず、エネルギーには流れがあり、止まったりすると支障をきたします。エネルギーには電気的な性質があります。電気がプラスからマイナスへ流れるようにエネルギーもプラスからマイナスへ流れます。

自分一人でエネルギーの流れを解決することは不可能です。周りの協力が必要になります。

エネルギーが流れている人というのは、外からのエネルギーを自分のものにする人であり、周りから感謝されているという特徴があります。何かを成すのに他人の協力が得られるのです。つまり、周りからどんな種類の感情のエネルギーが入ってきても、自分の中で生まれても、止めない、否定しない、受け止めるということが大切で、相手を負かさないこと、相手を傷つけないことを考える人です。

逆に周りから恨まれている人は、何かを成そうとしても、他人の協力を得られません。外からのエネルギーが入ってきませんから、どんな種類のエネルギーが入ってきても受け止めることができずにあるいは気付けずに、そのエネルギーを止めてしまう人です。

エネルギーが流れずに孤独になると、誰かの足を引っ張ろうとしかねません。これを意図的に引き起こす感情「思い知らせてやる」「恨んでやる」といったネガティブなエネルギーを「呪い(サイキックアタック)」といいます。

自分が自分がと、自分に囚われている自己中でエゴイストな人を「自分中毒」といいます。

いつも他人のことに執着して荒探しをするストーカーな人を「他人中毒」といいます。

どちらも自分と他人に対する思いやりという、愛が表現できなくなっていくのです。

からだによい物を食べているかな?

無理しすぎてないかな?

きれいな空間で過ごせているかな?

楽しめているかな?・・・・・・

まずは、自分を大切に思いやってみる。

その思考は「私は勝ちます」ではなく、「私に負けない」です。

勝とうというエネルギーには、負かそうという相手へ向かうネガティブなエネルギーが生まれます。負けないという気持ちには、誰かから奪おうとするようなエネルギーはなく、バランスのとれた自分完結のポジティブなエネルギーが生まれるので、途切れることのない循環のエネルギーが生まれます。負けないということ、つまり自分に責任を持つということが、エネルギーを流すあるいは、高める状態を生み出すのです。

受動的な意識がネガティブなエネルギーを生み出し、能動的な意識がポジティブなエネルギーを生み出します。

例えば余談ですが、相手に「触られている」という意識では、エネルギーをコントロールできませんので痛みや不安を感じやすくなります。逆に「触らせている」という意識ではエネルギーをコントロールしやすくなるので、痛みや不安は感じにくくなります。

まずは、自分を大切に思いやってみる。

その自分に対して芽生えた思いやりを自分から相手に広げてみる。

さらに相手を思う気持ちを家族や親に広げてみる。

そして家族を思う気持ちを世界中の人々を思う気持ちに育んでいけば、私たち大人も未熟であることを認めるはずです。まずは未熟であると自覚していることが大人であり、自分を表現することの大切さや、自分が何者であるかを自由に選べる自分との約束を思い出すのです。

愛は、学んだり増やしたりするものではありません。受け取るものです。まずは自分から受け取って下さい。すでに愛を持っていますから、満たされないものを何か代わりのもので埋める必要もありません。依存しすぎた相手に感情を吐き出すこと、見栄や体裁や欲をオープンにしていくことです。全てを一つにしていく行動、全てを一つにする感情が大切です。

「助け合うこと」

「教えあうこと」

「協力し合うこと」

これは、感謝と礼節です。

感謝することはすべてに対する信頼です。

感謝して、信頼することが、全てを一つにしていく行動に繋がるのです。

礼節とは、礼儀と節度です。

相手を尊重し、相手に敬意を払うことが、相手に伝わり心が通うのです。

敬意を払うことはすべてに対する信頼です。

信じる力、これこそが無意識に協力する力、「結ぶ」というすべてを一つにする共鳴エネルギーなのです。

共鳴の喪失は、良心の喪失につながります。良心のないものには分離と優位が芽生えます。

これは「私は優位だ」「私が善だ」「私が勝つ」というエネルギーを生みますから、エネルギーを止めてはいけないのです。

流すことが大事です。

流すとはまず、大切なのは調和すること。

受け止めて、感じて、否定せずに受け流すこと。それが調和です。

自分との約束を思い出してエネルギーを感じられるようになると、周りが動き始めます。

思うという目的を持ったということは、身体も脳もその目的に向かって動こうとし始めます。

目的が生まれた瞬間に普段以上の力とやる気が出てきます。

やる気には自分がするという感情が乗ってるはずですから、目に見えない自分を強くしてくれるエネルギーが循環し始めます。それが自分が自身の細胞全てに命令するということです。

細胞のエネルギーに働きかけると自動的に身体が反応します。

必要なことを行動し始めるのです。

その行動には、目的を果たすという無意識の願望が必ずあります。達成するために、自分がこう生きるんだという気持ちに向かって動き始めます。

その生き方を明確に詳しく意見・方針などにして、外部に(表明する)「宣言する」と自分の全ての細胞も聞き直します。つまり、自動的に身体が力強く反応します。自分に内在する無意識の「意志に乗る」ことが、「意乗り(イノリ)」つまり「祈り」の本質です。意乗れば、応援する人や賛同する人が現れて協力してくれます。そういう共鳴の場が生まれることは「有ることが難しい」ありがとう=感謝のエネルギーという自然の摂理です。

これを「目標設定」といいます。

宣言する

この感覚になってくると、こうしたいという思いを放つと、そのエネルギーに反応した人が現れて、共鳴しあって結果が出ます。ただ、自分のこうしたいという思いが具体的でなく、ぼやけていたり、漠然としたものだったら、その結果も微妙な結果に終わってしまいます。

好きなことを視覚化して思い浮かべるのは、高度なエネルギーケアです。思考は「創造」の第一段階です。次に良い言葉を語るのは、高度なエネルギーケアです。感情は、否定的でも、破壊的でもありません。その感情から生まれた思考を真実のまま、愛で表現すれば、否定的・破壊的な結果にはなりません。

こういう行動は、あなたとあなたの周辺の振動を変え、空間の雰囲気をも変えるのです。

そのためにもエネルギーをケアすること、自分との約束を思い出すことが大切なのです。

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