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無難と多難

「難しい」が無いと「無難な人生」になります。ただ、「難しい」が多過ぎても混乱して、逃げる・戦う・固まるという状態になってしまいます。でも、「難しい」がほどよく在ると「有り難い人生」になります。

問題や困難があるからこそ、成長し、感動が生まれ、人生が活き活きします。

では、ほとんどの人がどちらを選ぶのかというと、「無難な人生」を選びます。

無難とは人並み、常識、今までの経験してきた記憶という枠の中です。

  • 世間とはこういうものだ
  • 仕事はこうだ
  • 社会はこうあるべきだ
  • 私はこういう人だ
  • 私はこうでなければならない
  • 私はこうしないと幸福になれない

無難という意識には義務感しかありませんし、固定化されたエネルギーです。

無難とは(普通とは)、変わりたくないという「枠」檻です。自分で自分を不幸だと決めつけています。人並みという意識には、「同じもの」「普通」「良くも悪くもない」「幸でも不幸でもない」、もっというと「今のままでいい」という変化することを嫌うエネルギーがあるのです。

全てのものは、時間(時代)とともに古びていきます。自然なものとは、移り変わる季節や空氣のように「新たなエネルギーに触れる」ことで豊かにそして前向きに進むものなのです。

無難という意識では、新しいエネルギーに触れても、それを拒んでしまいます。

せっかく成長する機会や変わる機会に出会えても、自分を通して流れていくはずのエネルギー、誰かに渡すはずのエネルギーを止めてしまっているのです。

そういう人たちは「失敗」を恐れています。

失敗を恐れるあまり、現状を維持することを選び、変化を拒む「無難」を選びます。

では失敗とは何でしょうか?

失敗とは、目的を達成できないことでしょうか?達成できなければやり方を変え、達成に近づけます。では失敗とは、やり損うことでしょうか?やり損っても損なったところを補えば、やりきることが可能です。失敗は間違いから起こります。では間違えば人生が終わるのでしょうか?間違いの「間」とは何でしょう?間伸びするとか間抜け、間合いなんて使われ方があります。この間とはリズム、タイミングのことです。その時のリズムが期待通りではなかっただけです。共同作業の場合、リズムを合わせる必要がありますが、そのリズムは人それぞれです。リズムに、失敗や誤りはありません。

やり直せること、それが失敗です。

気づいたときに、いつからでも何度でもやり直して、自分のなりたいように変えていけます。

そのためにも「どんな自分になりたいのか」という明確な目標を持つことが大事です。

不明確な目的には、不明確な結果が生まれます。それには多くの「難しい」が伴うのですが、目的を明確にすることで「難しい」の中に感動と喜びを見出すことができるようになり、「難しい」によって成長し、新たな自分になれるのです。

そこには「無難」はありませんし、「楽(らく)」もありません。「楽しい」ことには、成長がつきものです。

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