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禍は道標

人は、不幸に出会うと他人や環境を批判しがちです。

他人を改めさせようとしたり、信心が足りないせいにしたり、環境が自分に合っていないせいにしたりしますが、自分の未熟さが招いた結果なのです。自分の至らなさが生活に反映して、不自然な生き方が不幸を生み出しているのです。

例えば、火の扱いを誤れば火傷をしますし、水の扱いを誤れば感電します。こうしたことを知る限りは守り、守らなければ身を亡ぼすということになります。

他人や環境を批判するのではなく、まず不自然な生き方とは何なのか?自分を「知る」必要があります。

人は人間関係なしに生きることはできません。そこには様々な自分の「役」があります。

役とは、受け持つ務め、演劇での扮する登場人物です。まさに人生とは台本のない演劇です。演劇には観客と演者があって、セリフは全てアドリブです。

 

純粋倫理の講習の中で出会った言葉に「役を知り、役に徹し、役を越えない」というものがあります。

役を知るとは自分の役割、役目を良く理解することです。それは引き継いだり学ぶ中で深まります。学びに批判はありません。

役に徹するとは、自分の役割を知ったのならばそれを実践し達成していくということです。実践は実験であり、成功や失敗はありません。失敗しないように行動すれば枠が狭まって、体験するはずだった貴重な出来事が起きなくなります。ただ行動し表現することです。

役を越えないとは、ルールにのっとり我を捨てて演じ切るということです。演じるとは役になり切ることであり、自分の役以上のこと、他人の役を侵さないということです。

 

妻の前では「夫」をしっかり実践する

夫の前では「妻」をしっかり実践する

親の前では「子」をしっかり実践する

子の前では「親」をしっかり実践する

 

基本を守る。しっかり基本を繰り返すことで、自分が信じる軸ができ、ものの見方が変わっていきます。見方が変われば、不幸に出会ってもその体験は必要なものだったんだと弱かった稚拙な自分を認めて許すことができるようになります。

禍こそ自然が示してくれた危険信号であって、成長する機会そのものです。

 

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