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見えるもの

見えないもの

人間はエネルギーだけでなく肉体という物質をもってこの世に存在しますから、ただ見えない陰のエネルギーのせいにしたり、粗悪な物質だけのせいにしたりしてはいけないのです。

この世にあるエネルギーも物質も「良い」「悪い」はありません。

良い悪いを決めているのはあなた自身です。

その時に触れる物質、そのエネルギーに触れたときに感じる感性や思考によって変わります。

信じる?信じない!

経験という記憶が、「見える」「聞こえる」「感じる」「匂う」「触れる」力になっていくのですが、「どこに意識を持つか」という心の持ちようで経験も変わります。

例えば、食事に氣を遣うということは、そこにどれだけ手が込んでいる(想いが詰まっている)食べ物を摂っているかということです。一番エネルギーの高い「物」は、太陽の光と水ですが、エネルギーの一番高い「食事」は、獲れたて新鮮であること、そして「栄養があって、おいしいものを食べさせたい」という作り手のエネルギーがあることです。

手の込んだ食事をすることで、笑うことが多くなり、会話が弾み、コミュニケーションが円滑になります。

コミュニケーションが上手くいかなかったり、突然キレたり、自分になかなか自信が持てないのは、振り返ってみれば、食生活が荒れていたり、アルコール過多や運動不足など、人間としての肉体の感覚を疎かにしているときです。

手の込んだ食事は感性でしかわかりません。赤ちゃんのときに食べていたものは大きくなると食べることはありません。その時その時必要なエネルギーがあるからです。

ただ想いは見えるものではなく、感じる力がなければ、どんなに手の込んだ料理であっても感じることは難しいでしょう。

味覚を感じるだけでは「きちんと味わう」ことができません。

目の前の料理に、農家の人が心というエネルギーを込めて作ったお米や野菜の存在を感じ、心を込めて作っている妻や母や料理人のエネルギーを感じ味わうと、味わう感覚は数段も増して「味わう」ことができます。

その料理に込められた想いは形として見ることはできませんが、別な形になって感じることができるのです。想いというエネルギーを感じることで記憶し、経験とし、肉体に感謝という形でそのエネルギーを刻むのです。

それは、どこに意識を持って経験するかで変わります。

食事だけでなく、経験そのものの背景に隠されたエネルギーを感じ取れること、いつも変化しているエネルギーを敏感に感じられるかどうかで新たな経験値が生まれます。

その感じることを疎かにすればするほど、自分を雑に扱うことになります。

それは食事を疎かにすることは、自分を雑に扱うということになります。

つまり経験を疎かにすることは、自分を雑に扱うことになるのです。

私たちは感性を生かした生活を心がける必要があります。

決して疎かにしないで、自分のからだ(肉体)と向き合ってみてください。

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