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自分の評価

外の世界には刺激が溢れています。

人は、独りでは生きていけないから、外の世界に自分が合うのか合わないのかを探り、場所を決めていきます。不安を解消するために、自分の「立ち位置」を見極めようとします。

そのために自分が楽に感じる場所あるいは、落ち着ける場所を見つけようと、外の世界と自分の距離を測ります。その距離とは「私はこういう人間です」とアピールするための手段であり、社交性をつかって人やモノとの関係性を楽にする方法です。

自分の「立ち位置」が決まり始めると「性的アイデンティティ」になり、「学歴」になり、自分が帰属する「タグ付け」をすることで、自分の居場所という「軸」ができるので、自分が楽に感じられたり、落ち着けたりします。

つまり、「立ち位置」とは、上手くいく方法、認めてもらう方法・・・つまり、「やり方」です。

そのためには「やる気」をアピールする必要があります。そして「やりたくないこと」「嫌なこと」もやらなくてはいけなくなり、やらないと「やる気」がないと見られてしまいます。

例えば、お金は価値の代わりだと思っていると、その価値を手にしようとして、お金は無くなっていきます。でもお金は一種の解決法だと思うと、解決するために価値以上のものを見出し、体験することで、自分の価値観が高まって、他の人がお金を使ってくれます。

ノウハウやスキルなどのすぐ活用できる「やり方」もあるでしょう。でもそれらは表面的なもので誰にでも当てはまるモノではないから、幸せな人が増えていかないのだと思います。なぜなら「やり方」だけを重視して、「あり方」の大切さを見落としているからです。「あり方」がしっかりしているからこそ、状況が変わったり問題が生まれても、上手くいくのではないのかなと思います。

「あり方」は、仲間と生きる上で必要です。

そして、人として魅力的に思うのは

「正直さ」

「純粋さ」

「謙虚さ」

「素直さ」

です。これらには「愛」が感じられます。

でも

「約束を守らない」

「嘘をつく」

「誠実でない」

「侮辱する」

「捻くれる」

こんな人に魅力は感じませんし、一緒に同じ時間を共有しようとは思いません。

ただ、何をどんなに言われても、嫌われてもあなたが気にすることはありません。

「相手にどう思われるかは関係ないのです」


未熟なのに相手のことをくよくよ悩んだり考えても満足な結果も生まれなければ、真実にたどり着くこともありません。他人の感情や行動をコントロールすることはできないし、できなくて当たり前なのにしようと考えるから苦しいのです。

見栄や優位は自分を偽る生き方です。

「花咲爺さん」や「舌きり雀」や「こぶとり爺さん」の話の中でもそれぞれの良い人悪い人が、全く同じことをしても、結果は異なります。もちろん「あり方」が違うからです。

「あり方」あっての「やり方」だと思います。

幸せな人(上手くいく人)は、どこに属しても上手くいきます。けれども、不幸せな人(失敗する人)は、どこに行っても上手くいかないと思います。それは、「やり方」ではなくて、「あり方」の問題だからです。大切なのは、ノウハウやスキルではなく、「あり方」つまり、「自分の信念(生き方)」です。

「自分は、どうあるべきか?」

「あり方」の正解は一つではないのです。

「あり方」に正解も不正解もありません。

「あり方」が違えば、「やり方」も違います。

「あり方」が同じでも「やり方」は違うのです。

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