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需要と供給

私たちの周りにあるものは、無駄なエネルギーを生み出してロスしないように、エネルギーのバランスがとれています。それが陳列されている品物にも当てはまります。

供給されたものが需要で消費され、日常的なコツコツとした地道なリズムを生み出します。与えるリズムと求めるリズム。この陰と陽のバランスが日常のリズムを作り出しています。

マスクに限らずトイレットペーパーやお米にまで及んだ今回の買い占め騒動。

その需要と供給のバランスを乱したものは、新型コロナという目に見えない存在です。

この目に見えない存在である微生物に細菌とウィルスがあります。

細菌は自分の細胞を持ち、自力で生き延びます。

ウィルスは細胞は持ちませんが遺伝子を持ち、動物に寄生することで生き延びます。

新型コロナはウィルスです。ウィルスは自分で増えることができませんから、自分が生き延びるために宿主の細胞に自分の遺伝子を送り込んで増えていきます。細胞に遺伝子が送り込まれた状態を感染といいます。宿主が死んでしまうとウィルスは生き延びることができませんから、折り合いをつけるために宿主を変えるたびに学習し、毒性がだんだんと弱まっていき、ライノウィルスやレオウィルス、ヘルペスウィルスのように身の回りにいるその他大勢の微生物になっていきます。

目に見えない何かを常に不安に思う状況に陥る心境。

不安という感情は、自然な感情です。自然な不安が沸き上がるのは、注意を促して身体を生かし続けるために必要不可欠です。

自然エネルギーは有という生命を受け入れ、無という真空を拒絶します。

ですから、治癒力のエネルギーの根源的な概念は

「存続しよう」

「消滅しないようにしよう」

とするものです。

私たち人間も含め、「種の保存」という本能で生き延びようとします。

特に生きるか死ぬかのとき、逃げるか戦うかという反応を示します。

逃げるか戦うか。

逃げるか戦うかのときには、その相手と関係性を持とうとしませんし協力もしません。

居心地が悪く、そこには恐怖ばかりを感じ、忘れることが多いパニック状態です。

私たちは人間は、面倒くさいことをしないと生きてこれなかった時代を乗り越えるために、それらを発明という文明の力で便利にしてきました。腐らない食べ物を作り、すり減らない服を作り、こっちからあっちへ一瞬で移動できる乗り物や通信をつくり、そして薬や手術によって食べることへの不安、寒さへの不安、情報への不安、苦痛への不安という面倒くささから解放されました。面倒くさいことを避けても生きていける世の中になったのです。多くの人の助けを必要としなくても生きていけるようになったのです。それが逃げるか戦うかに拍車をかけています。

普段から保存料を使ったレトルトなどの食品で栄養を取り、除菌や滅菌、殺菌で微生物を遠ざけ、痛みを遠ざけるために鎮痛剤を使い、免疫力のポテンシャルを下げていては戦うことができません。いざ戦うためには、日ごろから体温を上げ、微生物と共存するために換気をし呼吸し、少しづつ抗体をつくることを日々コツコツとしなくてはいけません。

本物からいきなり抗体をつくるか、日々コツコツ地道につくるかどっちが良いでしょう?

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