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生きる その3

自分にも相手にも手を差し伸べる

近年は、詐欺事件やフェイク情報が横行し、騙されたり欺かれたりする人が増えています。騙されることは「悪いことだ」と決めつけて、生きる全てを損得の価値観で過ごす人が多くなりました。

騙されないことは確かに大切ですが、はたして「悪いこと」なのでしょうか?

騙されないように、人間として生きる上で必要な「正直」「素直」「謙虚」「純粋」という魅力を捨てて生きる人が多いです。その結果、思いやりのない世界が広がっていると思います。

 

思いやりに満ち溢れている人の行動は、「自分と全体を一つにしようとする行動」です。溶け込もうとする行動です。これを「調和」といいます。調和が取れていると相手と争うことはありません。それどころか、相手と一つに成ろうとします。

人だけではありません。モノ、植物、動物に対しても優しくなります。

 

思いやりとは、純粋に親切な心から出る行動のひとつであって、例えば、相手の息災を気にして声をかけるとか、何の見返りも期待せずに自分が持っているものを分かち合うなど、礼節の精神から生まれる行動です。

植物が元氣に育てば、それを愛でる自分も元氣になります。飼っているペットがいつも元氣ならば、自分も元氣になり嬉しくなります。相手に優しくすることは、自分に返ってくるのです。

毎日お世話になっている布団をたたまず、お座なりに乱暴に扱っても、乱れた布団の中で寝るのは、自分です。自分のことを大切にしようとすると、自然に布団をたたみ、まめに洗濯するようになります。自分が生活するのですから、生活する空間を整理し、そこにある自分自身を大切に労わろうとすれば、相手に対して優しくなれるのです。

日常では、嘘をついたりだまされたり、見栄や体裁、欲がありそれらをオープンにできないために、自分の内側にある愛を表現し切れません。

そのときの感情には必ず、

我慢(耐える)

断念(諦め)

損得(先を見越す)

優劣(卑下する)

惰性(見下す)

などがあって、相手との価値観の違いに固執してしまうのです。

主導権は相手にはないのに、相手に委ねてしまう。

尊敬できない

自分と違う

情を感じない

そうなると、期待した相手を嫌う感情が沸き起こります。嫌ってしまうのにまた期待するという矛盾。それは自分の心の弱さを脆さを表現したくないからです。このことを依存ともいいます。自分の人生の主導権は自分にあるのですから、自分で工夫することも必要なのです。そして相手に優しくすることも大切なのです。

自分が自分がと、自分に囚われている自己中でエゴイストな人を「自分中毒」といいます。

いつも他人のことに執着して荒探しをするストーカーな人を「他人中毒」といいます。

どちらも自分と他人に対する思いやりという、愛が表現できなくなっていくのです。

まずは、自分を大切に思いやってみる。

その大切に思う枠を自分から相手に広げてみる。

さらに相手を思う気持ちを家族や親に広げてみる。

そして家族を思う気持ちを世界中の人々を思う気持ちに育んでいけば、未熟な気持ちが成熟へ向かっていくはずです。

愛は、学んだり増やしたりするものではありません。受け取るものです。まずは自分から受け取って下さい。すでに愛を持っていますから、満たされないものを何か代わりのもので埋める必要もありません。

依存しすぎた相手に感情を吐き出すこと、見栄や体裁や欲をオープンにしていくことです。

全てを一つにしていく行動、全てを一つにする感情が大切です。

「助け合うこと」

「教えあうこと」

「協力し合うこと」

共存したい、共生したいと思う感情が「愛」であるなら、その魅力は「正直」「素直」「謙虚」「純粋」にあります。

逆に威張ったり、逆らったり、ひねくれたり、無気力だったりすることが、魅力的に感じないのは自然(共存)に反するものだからだと思うのは私だけでしょうか?

周りも自然も生きています。周りにも自然にも同じように愛情を持たねば、生きていくことは難しいでしょう。

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