あなたは、何をしているときが一番幸せだと感じますか?

反対に、これさえなければ幸せになれると思っているものがありますか?

私たちを繋ぐ「関係性」・・・私たちは、親子、夫妻、兄弟姉妹、一族という家族のグループに属しています。そのグループはそれぞれ地域社会へと繋がっていて、友人知人、隣近所、そして町内会、学校など、さらには仕事、上司と部下、顧客と提供者、もっと広がると、国家というグループにも繋がっていて、必ずそこに属してその中で生きています。

その繋がり方の規模やレスポンスを変えたのがPCやスマホで利用するSNSです。

特に、互いに親しく交流する人同士は、会話の中で影響し合うので模倣し合います。

この時、各個人が交流しながら、会話というリズムやテンポ、音程や響き、余韻や間といった暗黙の感覚で模倣し合います。

ですから、親しく交流すればするほど、その人同士が良いも悪いも全てひっくるめて、ほとんど同じ習慣を獲得します。それはもう個人的習慣ではなく、すでにグループという社会的習慣であるといってもおかしくありません。

そのグループ内において悩みを持つ多くの人が、例えば会話の中で愛の秘訣について相談を受けると、失恋や不仲について語ろうとし、親しくする秘訣を聞こうとすると、冷たくされた酷い経験について語ろうとします。関係性が上手くいくための会話において、関係性が上手くいかないという反対の体験談を語ろうとします。

親しくしているからこそであるけれど、不仲になり酷い経験をしてしまい、そして互いに影響を与え同じ習慣を獲得し、その輪が無意識に広がっていく・・・・

それはなぜでしょうか?

私たちは良いことが起こるようにと無意識に「周りをコントロールしよう」という活動が、生活の中心にあります。コントロールできない不測の事態になると、様々な葛藤がでてきますから、何でこうなったのか?これからどうなるのか?またこんなことが起きるのか?分からなくなってしまうのです。コントロールしようと思うこと自体が、誰もが持っている心の弱さや脆さを隠そうとする根本的な性質だからです。

例えば、本当は、心の奥に愛して欲しい、わかって欲しい、助けて欲しい、安心したい、繋がりたいという気持ちがあるにもかかわらず、認めてもらえていないという拒絶された気持ち、悩みに対する不安な気持ち、自分が恥ずかしいと感じることを伝えることができないもどかしさ、誰にもいえない恐ろしい恨みや妬み、なりたい自分になれないと思う焦り、自分自身への裏切り、ないがしろにされたような気持ち、してもらえなくて寂しかったなど、その時感じる「怒り」「悲しみ」「恥」「恐れ」「失望」などの心の弱さや脆さを相手に伝えたいとか見せたいとか思いません。

全てをさらけ出す必要はないのですが、自分に対しても隠そうとすることが、上手くいかない全ての原因だという事に気付く人はあまり多くありません。

なぜ不幸に感じるのか、あるいは病気になったり不調になるのかは、感情の上手な隠し方を無意識に知っていて、実行しているからです。この方法は簡単で、心の弱さや脆さの感覚を普段から無意識に麻痺という形で浄化させています。

この実行には、お酒や食べ物、ギャンブルやタバコ、さらには買い物やゲームなどの課金、最悪麻薬の力を借りることもあるでしょう。その証拠に、日本に住む多くの人が、ダイエット、借金、肥満、ファストフードや砂糖、服薬治療のいずれかに当てはまります。

これらは、すべてやめることの出来ない「中毒」です。

でも特定の感情を選んで麻痺させることは出来ません。ですから、「怒り」「悲しみ」「恥」「恐れ」「失望」などの心の弱さや脆さを隠そうとすると、「喜び」や「感謝」や「幸せ」も同時に麻痺させて隠すことになるのです

確かな感情を麻痺させることで良い感情まで不確かなものにし、さらに迷い込んで不確かにしてしまいながらも改めて確かなものにしようと、痛みや不快を解放する方法として「こいつのせいだ」という悪いものを作り出し非難します。たとえば、熱、吐き気、鼻水、頭痛、下痢、吹き出物、動悸、息切れなどです。

つまり、「コントロールしよう」という日々良かれと思っている活動は、「私は十分満たされていない」後ろめたさなのです。

具体的には、

完璧じゃない

賢くない

金持ちじゃない

美しくない

偉くない

スリムじゃない・・・・・・

など、これらは社会と繋がるために必要な共感力なのですが、この感情で共鳴しながら生き続けると、生きていることを心苦しく感じることが多くなっていきます。

この気持ちを持っている自分に苦しんだり、これでいいんだろうか?と悩むのです。

相手の行動にだけ反応していく生き方、つまり相手の行動によって生きていく、それは自分の生き方を放棄した状態になっていくのです。

自分の生き方を取り戻すには「幸せだと感じて生きている」人と「不幸だと感じながら生きている」人には、ある違いが一点だけあることを知る必要があります。それは、自分に価値があるかないかという考え方です。

私たちは自分たちのしたことが、相手に影響を与えない振りをしています。恋人でも夫婦でも家族でも会社でも、グループでもそういう振りをしています。悪いことを悪いと言えないのです。

ありのままの自分を自分自身にさらけ出す「勇氣」。「不完全な自分で良い」とする自己肯定が、幸せになる第一歩になります。

それは、自己中心的な考えや自信過剰な自惚れなどではありません。

自分に対する「思いやり」です。

心の弱さや脆さを受け入れ、不自由さを愛し、それが個性なのだと自覚することです。

生きていくことが上手くいく保証がなくても、それでもなお家族や社会と繋がりたい、関係性を保ちたいと行動に勇氣を注ぐことです。

これは、挫折を味わうことではありません。気付きです。

気付きとは、意識レベルの向上です。

頑張るよりも葛藤するよりも、上手くいかないことがあっても

「自分が望んでないことをやっているからだ(自分の望むものに力を注ごう)」

「自分らしくないことをやっているからだ(見せかけでない本心の自分を見せよう)」

と気付いて、軌道修正することです。

「怒り」「悲しみ」「恥」「恐れ」「失望」などの心の弱さや脆さを隠す必要はありません。怒っていいし泣いてもいいし、今ある感情を隠そうとせず感じることで「喜び」や「感謝」や「幸せ」も同時に感じることが出来るようになるのです。

自分が望むもの・・・お金も仕事も愛も欲しいものだけを受け取ろうとしてはいけないのです。

自分が望むことに対して、弱さや脆さを感じることは、必ずセットになっていますから、良いことも悪いことも全部受け入れる覚悟を決めると、愛と豊かさに溢れてきます。

それはシンプルなこころの有り様です。自分に思いやりを持って自分の負の感情も受け入れたとき、信頼と尊敬が自分だけでなく相手に対しても生まれるのです。

  • 「やってみよう」という自己実現への気軽な挑戦
  • 「なんとかなる」という前向きな楽観
  • 「ありがとう」という繋がりへの感謝
  • 「ありのままで」という自立と信じる

これを読んでみて、今一度ご自身に問いかけてください。

あなたは、何をしているときが一番幸せだと感じますか?

反対に、これさえなければ幸せになれると思っているものがありますか?

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